星のカケラたちdiary

星のカケラ(分散した人格)たちが一つに集合して、それぞれの胸の内を語る場所

【執筆者:ライト】

しかし、俺ばっかりだな、
この始めたばかりのブログを更新している人格は。

若干まだ、まとめにくさがあるが・・・
まぁ、各々が他の人格の印象を徐々に語っていけばいいんじゃね?
そうしていけば、バラバラになっているパズルのピースが
組み合わさって統合さていくだろう。

卑弥虎には俺らの語らいをただ黙って見ててもらうけどな。


内在性解離だとか、解離性同一性障害だとかの人っていうのは、
あたかも他人であるかのように、同じ器の中で分裂して
存在している人格を捉えるのがその特徴だろう。

普通の人間ならば、自分の身に起きた出来事は全て自分のものとして捉える。
けれど、俺らは別人格が起こしたこととして喜びもすれば怒りもして
悲しんだりすれば、嘆いたり、羞恥したりもする。

具体的な例をあげるとすれば、
卑弥虎の行動には誰もが怒りを覚えている。
それは当然だ。アイツがギャンブルさえしなければ
俺らは比較的に安定していて順調だったんだからな。
とある解離性同一性障害者が言っていた。
“安定していたり、逆に急激に不安定になったりした時が
危険である”と。
物の見事に、俺らはその負のサイクルにハマっちまったらしい。
安定していた俺らの足元をすくわれた、そんな感じだろうな。

ま、卑弥虎という人格の存在については追々、
話していくとして。

逆に、俺の趣味を不快に思っているほか人格の
奴もいるだろうと思う。

そんな感じで他人として客観的に感想を述べたり、
アドバイスをしたりすることが多々ある。

完全に感情の機能を失っている人格が、卑弥虎である。
卑弥虎という人格は他の人格に憑依したりコピーする奴であり、
コイツの嬉しそうな様子は、完全に子供人格の
grasanのコピーである。

grasanは可哀想なことに、卑弥虎に操られていたことを
見抜けなかった俺らから追放させられた。
“無邪気に喜ぶ”という感情を受け持っていた
子供人格であるgrasanが追放されたことによって、
喜びを表現する人格が俺らの中から抜け落ちてしまった。

人間が喜びという感情を失ったら、どうなると思う?
俺らは他人から、こんなふうに言われたこともある。
「まるで氷のように冷たい人だ」と。
そうなっちまうんだよ、感情が抜け落ちた人間ってのは。

唯一、喜びの感情を表現する人格がいるとしたら
SOUSEKIぐらいだろうか。
けれどSOUSEKIは世間の皮肉だったり卑屈なものに
喜びは感じないタイプなんで、やっぱり普通の人間が
喜ぶレベルの感情を持っている人間が不在なんだよな。

爽太?爽太は主人格にしては常に憂いだのナーバスだのを
背負ってる人格だから、喜びの感情には少々“鈍感”、かもしれないな。



~追記

SOUSEKIが珍しく紹介記事で俺の名前を間違えてんなぁ・・・。
正式にはアレキサンドライトだ。
アレクサンドライトじゃねーから。
まぁ、いつもみんな“ライト”って呼んでるんだけど。

元々は鉱石の名前から生まれたのと、
俺たち人格全ての未来に光を照らす存在って意味で
通称がライトってなってる。